人形座再発見の会-前橋

人形座再発見の会・1950年代を切り拓いた 劇人形たちのオープニングパーティの為に群馬まで。
平均年令70過ぎの濃い活動家(笑)がわんさか集まってるパーティ。勢い衰えず。知らぬ話もいっぱい。数年前に勝訴を勝ち取ったハンセン氏病の支援を続けている方もいらして勝訴後市民の関心がそれた途端、様々な問題が宙に浮いたまま放置されている事や、数千人いる患者さんの内ひと桁も我が家に帰れた人がいない現状等の話しも聞く。 あらゆる事が消費されていく感じの中 続けていく眼線を持ち動いてる人が多い集い。 当時、隔離塔で生の身体をさらして人形劇の公演をしに行った人形座は画期的だったそう。 父母から聞いた、手袋越しの はたはた。。という拍手の話しは忘れられない。
途中各自の紹介の時になにげなく50年前の台詞を口にした途端、幕開けから台詞、音楽、ト書きを参加者の口からリアルタイムで繰り広げられて行くのには感動。

人形座の音楽は丸山亜紀さんが作曲されていて、その多くはその後日本中の小学校の音楽教育で使われて行ったので、しらないうちに唄ってるものも多い。「ホップくん」「チポリーノの冒険」「機関車の唄」「小さいお城」等。

広島からは亡父の作った人形劇団なかよしのメンバーの方も家族連れで参加。ほとんどの人が僕が子供の頃に遊んでもらった人ばかり。実家を今年の春で引き払ったので、もう広島に帰るところが無いのがなんだか不思議な気分。 広島の劇団はもうすぐ40周年。なにげなく脚本たろちゃんどーする?と聞かれる。 なんとなく劇団の人のオリジナルで作品をつくるのがベストな気も。あと「ブーチューチン」(ぶた・ねずみ・いぬのお話)の3匹のキャラだけで、いろんな新しい話しや会話をつくってくのも面白そう。ブー太の切る世相とか聞いてみたい気も。

あと、途中「猿かに合せん」という民話の持つ罠をブッシュに例えて話しながら、北九州の炭坑で猿かにの公演しながら、労働紛争に加わった時の話しも印象的。 僕としては猿という山の民は本当は炭坑労働者に近い気もするのだけど、当時は猿という悪に対する蟹の気持ちだったそうで。 猿かには 山の民を追い払う、稲作文化の話しを稲作文化がわから描いたものな気がする。 自由に山の民として住んでいた猿側の話しも見てみたい。

で、満喫で、帰宅。帰りの列車の中ではずーっと広島から来た9才の女の子と15ゲーム。「お兄ちゃん」と呼ばれる。よし!(笑)